コツソの部屋

骨粗鬆症マネージャーとして病院勤務しております。骨折を防ぐための生活習慣や、治療薬、サプリメント、食べ物などについて情報発信していきたいと思います。宜しくお願いします。

「帝王学」がやさしく学べるノート、レビュー

今回は、

帝王学」がやさしく学べるノート―上に立つ者が身につけるべき人間学

著者:伊藤肇

編集:プレジデント書籍編集部

です。



累計20万部のロングセラー

『現代の帝王学

これをわかりやすくしたものらしいです。



私は仕事も下っ端、家庭でも子供にもナメられる、

いわば



帝王学とは正反対の立ち位置


にいる無縁の人間ながら、



子供を育てるうえで何かの役に立つかと思い、手にしました。



見開きです。

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真のリーダーを目指すすべての人へ

 よく耳にする「帝王学」とは、どのようなものを意味するのでしょうか。リーダーの条件を問うてきた評論家の伊藤肇は自ら著した『現代の帝王学』において、「帝王学」とは「権力の学問」であり、「エリートの人間学」だと述べています。
 人を組織し、党をつくり、会社を運営し、自ら権力を握って、これを自他のために役立てる・・・・・これが政治であり経営です。だからこそ志のある者なら、「権力」を握らなければ目指す目標を達成することはできません。一方で、権力ほど人を堕落させるものもありません。よく世間でいわれるように「権力は腐敗する」ものなのです。
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云々

ということで、まとめ下手な私の3段レビューです。



「出会いによって生まれた

一筋の光明が

人間形成に決定的な影響を与える」



浄土真宗の開祖開山であり、「教行信証」を著した親鸞は、

師である法然(浄土宗の開祖)との出会いを、

「遭い難くして、今、遭うことを得たり。聞き難くして、今、聞くことを得たり」

と表現し、心よりその出会いに感謝しています。



残念ながら私にはメンターと言える人はいません。

でもつらい時期に会えてよかった、悩んでるときに一緒にできてよかった

というような出会いに感謝できる人はたくさんいます。

特に私は障害者ですから、心打つ言葉もたくさんいただきました。

生き方を捧げるような人はいませんが、

これまでの出会いのカケラを大事にしていきたいです。



さらに言うなら、今の家族を持つに至った人との出会いに感謝です。



「決断力や実行力を伴った

知識や見識を胆識という。

学問はその胆識を養うところにある」



孔子

「学問的鍛錬を欠く人間には必ず陥る偏向が6つある」

と、訓戒しています。



・仁を好みて、学を好まざれば、その弊は愚

学問で鍛錬されていない愛情は「盲目の愛」であり「愚者の愛」だそうです。

若者のはまり込みすぎる恋愛感情なんかも含まれるのでしょうか



・知を好みて、学を好まざれば、その弊は蕩(とう)

知識だけでは物知りにすぎず、信念とか行動力には繋がらないそうです。

行動して結果につなげる根本的な何かがいるんでしょうね。

私には欠落してるな。飽き性だし。

「胆識」という言葉がよく出ますが、ここにその基本がある気がします。



・信を好みて、学を好まざれば、その弊は賊

学問を伴わない信義など、ヤクザの仁義と同じだそうです。

わかりやすいですが、仁義を突き詰めていくと深そうです。



・直を好みて、学を好まざれば、その弊は絞

率直単純を好み、適応力がなければ自説を強要し、迷惑をかけるそうです。

迷惑かけるし、時代の変化に取り残されそうですね。

馬にこだわり鉄砲に敗北する、

軍艦にこだわり戦闘機に敗北する・・・など



・勇を好みて、学を好まざれば、その弊は乱

勇ましいだけで学がなければ秩序を乱すそうです。

体育会系でしょうか。

大切な芯の部分を伴わないと、泥船で全軍乗せて川渡りしそうで怖いです。



・剛を好みて、学を好まざれば、その弊は狂

強き一点張りで反省や節度がなければ、事態は狂うそうです。

何でもかんでも突き通せはダメなんでしょうね。



最後の3つはなんとなくにたところがありますね。

個人的には知を好みて・・・

の部分が自分に足りないものとして心に残りました。

会社を変えていく人、世の中を変えていく人に、必要な要素なんでしょうね。



「蚕だけは、

食べたものを体外に排出するとき、

その一部を美しい白い絹糸として

口から吐き出す」



著者は、

「隻脚会長、新井正明との一問一答」

の中で、新井と友人堀切真一郎の母親との会話を紹介しています。

堀切は小児麻痺のために片足が不自由でしたが、

明朗闊達この上ない生き方をしていました。

その母親が脚を切断した新井を見舞いにきました。

その時のやり取りです。

「うちの真一郎は、わりかし小さいときから足が悪かったので、傍で心配するほど、本人は何とも思っていませんが、新井さんは急に脚をなくされたんですから、さぞかし大変でしょうネ」

と新井を慰めます。そこで新井も堀切の真似をして、強いて快活に

「お母さん、ものは考えようです。真一郎君は小さい頃から脚が悪かったために運動会へも出られなかったし、海へも山へも行けなかったでしょう。それに比べれば、私はたいていのことはやってきていますから、真一郎君よりは、はるかに幸せですよ」

と応じます。

そのとき新井は、

明るく生きてれば、運命からも愛されることを悟ったそうです。



かつて一流とは言えない住友生命を、大保険会社に育て上げたのが新井正明です。

彼は26歳の時、ノモンハン事件の死闘で片足を失います。

どうにもならないことは忘れたほうが幸福だと書かれてます。



私は生まれた時から障害持ちですので、

前者の考えしかないと思っていました。

「途中から障害になったらつらいだろうな」

・・・と

新井の応じ方には、単なる障害者の見方だけでなく、

生き方そのものに対する、新たな価値観を感じました。

不幸の中に埋れるのではなく、見落としている幸福に感謝し、

前に進むことで、幸福に満ちた新たな自分に生まれ変われる・・・

実際のドン底の状況では、簡単には受け入れられないでしょう、

けど障害者目線で読むことで、個人的に印象に残りました。





3章から成っており、3つの視点から読むことができわかりやすかったです。

著者が最も言いたかったことも、

子の3つのタイトルに集約されている気がします。



第1章 原理原則を教えてもらう師をもつこと

第2章 直言してくれる側近を持つこと

第3章 よき幕賓(ばくひん)を持つこと



幕賓とは簡単に言うと助言者、

俗な言葉で言うと「客分」「顧問」「社外重役」「パーソナルアドバイザー」

立派な幕賓の条件は「胆識」をもっていることであり、

胆識とは、

知識に理想や志(こころざし)が加わり、道徳的・心理的判断ができ「見識」となり、

これに様々な利害や矛盾や意見を抑え込んで実践する、

決断力が伴うものと書かれています。



歴史的な人物のやりとりを紹介しながら構成されているので、

やさしく学べるとだけあって、読みやすく、一気に読み切りました。



たぶんリーダーにはなれんでしょうが、

生き方を考える上でも、今後の息子の教育のためにも、

知っておくべき考え方は盛りだくさんで、一読の価値ありです。